ハシッコばっかりメにトマル。(仮)

フリーライター、キクタヒロシのブログです。新刊『昭和の怖い漫画 知られざる個性派怪奇マンガの世界』発売中です!

書庫の闇より

今回も書庫整理をした時のお話です。

 

家の収納スペースの空きがあれば本を詰め込み、そこが普段使わない場所であるならその前に本を積んでしまったりするので、奥の本を引っ張りだすのが一苦労どころの話ではなく(苦笑)、結果、何年間も「開かずの書庫」となってしまう事があります。

 

が、今回は資料として引っ張りださねばいけない本があったため、本の保管場所をかなりひっくり返した結果、購入した事すら忘れていた本が相当数でてきて苦笑いました。

 

絶版マンガを中心に本の蒐集し始めてから早四半世紀。

一度は自分の手にしたものの売却してしまったものを含めると、熟読はせずとも万に近い数には目を通していると思うのですが(2,000冊を超えたぐらいから、もう数える気も無くなりました)、購入してから長い歳月が経ってしまったものは、その存在を忘れてしまっているものも。

また逆に所持しているつもりが探しても出て来なかったりするケースもあって、その場合は処分した事自体を忘れてしまっているのでしょう。

これは僕自身の記憶力にも問題があるのはもちろんなのですが(苦笑)、色々な記憶が混同してしまうのが原因なのだと思います。

例えば似たような系統のA作品とB作品があり、Aは書庫に入れたもののBは売ってしまった、などという場合、数年後にはその記憶が曖昧になり、Bも一緒に書庫に入れたような気になってしまう、といった風に。

まぁ、数千・数万のコレクションを全てをしっかり把握しているコレクターの方からみればお笑い草でしょうから、ただの言い訳です。

 

が、今回の書庫整理では記憶違いのお陰で嬉しい事がありました。

処分したつもりだった、とある作家さんのマンガがドカッと出てきたのです(笑)。

それも資料として必要なため「足りない辺りは再購入しなきゃ」、と考えていた辺りがまるまると!

 

こんなサプライズを味わえるなら、記憶力が弱い事もそんなに悪い事ではないかな、と思えた今日なのでした。

四ツ眼怪談

前の記事で蔵書の整理をしていると書きましたが、気になった貸本マンガを書庫へしまい込む前にご紹介しておきます。

 

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立美八景先生の『四ツ眼怪談』。

多分昭和40~41年くらいの作品です。著者の故・立美先生は貸本マンガ末期に青春ものやギャグマンガを中心に残されており、このような怪奇ものは珍しいはずです。

 

で、如何なるストーリーなのかと申しますと、花屋を営む母が入院してしまったため店番をしていた少女さゆりは、毎日一輪の赤いバラを買いに来る青年・影彦に恋をします。そしてそれは影彦も同様でした。さゆりを目当てに日々花屋へ通っていたのです。 

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f:id:buraburablue:20160306012836j:plain(←赤いバラを買い続けるキザが似合う顔してます(?))

そしてある日、さゆりが狂犬に襲われているのを影彦が助けました。さゆりを背に庇うと先に逃がし、狂犬を退治したのです。これをきっかけに二人の仲は急接近しました。

が、ただ一点、さゆりには気にかかる事が…。退治された狂犬は、眼球が飛び出し息絶えていたのです…。 

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といったお話です。

ここからネタバレしますが、影彦の一族はみな眼が四つあり、多くついている二つの眼で他人を睨むと、相手の眼球が飛び出してしまうという、不可解な能力を持っていました(このギミックはいばら美喜先生が昭和30年代から何作品もで使用しておりますので、参考にされたのかも知れません)。さらには少女の生血を啜らなければ生きていけないという、非常に難儀な性質だったのです。

そのために影彦は少女を誘惑しては屋敷に誘い込み、その毒牙にかけていたのですね。

 

しかし、今回は違いました。影彦はさゆりを本当に愛してしまったのです。影彦はさゆりと結婚したいと両親に懇願しますが、両親は納得せず、さゆりに襲いかかります。ここで影彦は両親を魔性の眼で睨みつけて、眼球を奪います。親より愛するさゆりを選択したのです。

しかし、その惨状に怯えるさゆりを見て、この眼が怖いなら、と自ら針で魔性の眼の一つを潰すものの、さらにさゆりは怯えるばかり…。

両親を裏切り、自ら眼を潰したにも関わらず自分を受け入れないさゆりに対し影彦は逆上、自分のものにならぬなら、と残った魔性の眼でさゆりを亡き者にしようとするのでした。 

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この作品、ストーリーだけ追ったなら、しっかりとした「怖いマンガ」であるのですが、その怖さを打ち消してしまうものがあります。

 

それはどこかしらユーモラスな立美先生の画風。

 

人物が止まっている場面やアップの場面ではあまり感じないのですが、なぜか動きのある描写の場面だと、表情と動きがデフォルメされて、ギャグマンガのようなタッチとなってしまうのです。これは登場人物の頭身が低いせいもあるかもしれませんが、そのせいで影彦一族が正体を現すドキドキするような場面でも緊迫感が感じられず、あっけらかんとした印象さえ感じます。 

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当たり前ですが、作風にあった作画って本当に大事ですね。

 

 

最後にもう一つ、この作品が収録されている本について。

この作品は『殺しの依頼書』というアンソロジーに収録されています。表紙には畠大輔、背表紙には竹田きくおの名もあるものの、立美先生の名は表記されておりません。

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この表紙とタイトルの本に、怪奇作品が収録されているとは思わないですよね。元より表紙絵は中身と全く関係の無い影丸譲也(『空手バカ一代』『ワル』などの作画で有名ですね)が描いています。これだから貸本マンガは表紙で判断してはならないのです(笑)。

僕色本棚

春うららかな陽気となってきた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

僕はといえば10日ほど前より持病の腰痛が再発、その痛みに耐えながら必死こいて確定申告の書類作成をしていたのですが、昨日、無事に申告を終えてひと段落、腰痛も治まってきたので書庫を開けて本の整理を始めました。毎年この時期は、蔵書を見直す事にしているのです。

購入したもの全てをとっておければ一番良いのですが、基本的には増え続けるものですし、保管場所が限りがあるので。これはコレクターの方なら大抵同じ想いをされているのではないでしょうか。

 

そこでコレクションの取捨選択をしなければならないわけで、以前は「評価の高い珍しいものを優先して保護」の姿勢をとっていましたが、現在は「自分の好みに合うもの」「なにかしら心に引っ掛かったもの」をとっておくようになりました。

「これは個人的に保護すべき」と言うココロの声に従ってコレクションをする事により本棚を眺めた時、自分の嗜好を改めて認識でき、それが意外に自分再発見(笑)だったりするからです。

 

今、部屋の本棚をざっと眺めてみると古典文学や哲学書の文庫、「あしたのジョー」「デビルマン」などといった傑作マンガの初版本、カルト系の貸本マンガや怪奇マンガ、レトロゲームの本、そしてさまぁ~ず様を中心をしたお笑いのDVDが並んでおります。で、その隙間隙間にレトロな駄玩具が置いてあったりもします。

 

我ながら統一性の無さに驚くばかりです。

 

が、イイんです。自分が好きなんだから。

ビシッ、と筋が通った一貫性のあるコレクションこそ王道かと存じますが、私的嗜好にこだわったこの「雑多性」が僕のコレクションであり、色であると再認識した今日この頃なのでした。

『昭和のヤバい漫画 知られざる貸本マンガのDEEPな世界』重版できました。そして『新文化』で紹介されました。

先月発売されました僕の初単行本、『昭和のヤバい漫画 知られざる貸本マンガのDEEPな世界』(キクタヒロシ・著/彩図社・刊)

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ですが、僕個人&彩図社さんの予想を超えるご好評を頂きまして、早くも重版されました。

 

本日見本が届き、その奥付に輝く「第2版」の文字に、かなり興奮気味。 

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正直に申しますと僕・編集担当氏ともども「売れ行きが全く読めない」というのが発売前の見解でしたので、まさかこんな早い時期に増刷されるとは思ってもおらず、相当ビックリしています(個人的には「発売してしばらくは全然売れないかも知れないんで、長い目で見てください。」と編集氏にお願いしていたくらいです)。

 

一部の書店・ネット書店様で品切れ・品薄となっておりましたが、順次再出荷されますので、今しばらくお待ち頂ければ幸いです。

(↓下記URLより彩図社さんの本書販売頁にジャンプします)

https://saiz.co.jp/saizhtml/bookisbn.php?i=4-8013-0128-3

 

 

また、重版されたのと同じくらいビックリしたのが、『新文化』(1月29日 第3113号)に紹介記事が掲載された事です。 

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新文化』は“出版界唯一の専門紙”として新文化通信社様が発行している業界紙

10年ほど前、出版社に在籍していた時に拝見しておりましたが、まさか自分の本が紹介される事になるとは考えもしなかったです、当時。しかも結構なお褒めの言葉を頂けており、「他にも良い本がいっぱいあるのに、俺の本なんて取り上げて良いの?」といった気分でなんかドキドキしてます(笑)。

 

ともあれ、ここ1~2か月の間に初めての経験をたくさんさせて頂きました。

後押ししてくださった皆様に大感謝です。

パソコンへの依存

先日の事ですが、突然パソコンが起動しなくなりました。

osはwindows7なのですが、ログインした後の「ようこそ」画面から進まなくなってしまったのです。仕方なく強制終了してセーフモードで立ち上げたり、システムの復元をかけようとしたりしても全て徒労に終わり、強制終了を数度繰り返した後に「これ以上はマズイ」と思い留まり、5時間ほど放置してみたらなんとか立ち上がりました(苦笑)

 

が、文字を打とうとしても2~3文字打つと数分フリーズ、メールソフト始め大半のソフトは開けないという絶望的状況に…。

 

それでもなんとかインターネットは使えたので、内部データを消さずに修理をしてくれるお店を探して即持ち込み、不安で胃の痛い思いをする事4日間、無事復旧されて今パソコンを使えています。

 

本当に、本当に良かったです…。

一応、最低限のデータはバックアップをとっているものの、修理できずに初期化されてしまったりしたら元の環境に戻すまでに何日かかるやら。

 

今回の事で改めて痛感したのは、自分の仕事はパソコンとインターネット環境があるお蔭で成り立っているという事。パソコンが無いと、バカみたいに何もできません。

 

それを考えると何か背筋に寒いものを感じました。

15年ほど前など、パソコンを持ってすらいなかったのに、いつの間にパソコンへ自分の仕事を依存しなければならなくなっていたのか…。

 

う~ん、少しアナログへの回帰も考えなきゃ。