ハシッコばっかりメにトマル。(仮)

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10年前の今日 その人のため 多くの人が涙した。

本日、1月31日は“世界の巨人ジャイアント馬場の十回忌にあたります。 

20世紀最後の1999年、馬場さんは肝臓ガンによる肝不全により還らぬ人となりました。享年61歳。晩年はプロレスラーとしては生涯現役を掲げながらも第一線は退き、テレビのバラエティー番組等にも出演し、そのユーモアに溢れ温かみを感じさせるお人柄は、プロレスに興味が無い人たちからも多大な支持を受けていらっしゃいまして、その訃報を知らせるニュースが流れたその日、多くの人がご冥福をお祈りしました。

 

 

少年時代、熱烈なアントニオ猪木ファンで“猪木信者”を自認していた僕は馬場さんを嫌っておりました。

猪木と馬場は同期の桜、生涯ライバル関係であるにも関わらず、常に馬場さんより格下の扱いを受ける事を不満に持っていた猪木は、馬場さんのファイトスタイルはもとより人間性にいたるまで常々批判していたのです。 

猪木信者である僕が、“馬場憎し!”と思い込むのは当然の事で、それが間違いだと気付くのに少々時間を費やしました。

 

現在でも、“プロレスラー”アントニオ猪木ジャイアント馬場を評価した場合、僕としては猪木に魅力を感じますが、“人間”猪木寛二と馬場正平としてみた場合、馬場さんに圧倒的魅力を感じます。

 

個人的に定義するなら、猪木はプロレスに“非日常的なロマン”を追い求め、それを最優先するゆえ、時には人として道を外れてしまい、馬場さんはプロレスを“ビジネス”として捉えているゆえ誠実さを大切にしていたのでしょう。 

その大きな体に似合った大らかな和を大事にする心を持ち、また読書や絵画を好み、晩年は60分の激闘を行う弟子達を放送席から見守りながら「これじゃあ、負けた方は可愛そうだ」を涙声で語る、大きな体に似合わぬ細やかな心遣いに、僕は少しずつ惹かれていき、気が付くと大半のプロレスファンがそうであったように、尊敬と親しみを込めてジャイアント馬場を“馬場さん”と呼ぶようになっていました。

 

そんな馬場さんが亡くなった10年前、プロレス界は絶対的な良心を失い、アントニオ猪木というもう一方の雄が絶対的権力を持った時、間違った方向に走り始めたように見えます。引退したにも関わらず、自分が中心として奉り立てられなければ気が済まない猪木は、自分を蔑ろにしたプロレス界を徹底批判、競技として別物の総合格闘技に肩入れし、プロレスを“食い物”にさせてしまったのです。しかし、10年という長い時間をかけてやっとその呪縛から逃れ始めました。

 

ようやく馬場さんが掲げていた誠実さの大事さに皆が気付き始め、マット上は別として、多くのプロレスに携る人たちが和を持とうとしています。馬場さんの十回忌である今年、そろそろ馬場さんが愛した“王道たるプロレス”復興の気配が見え始めた今日この頃です。

 

ところで、馬場さんは生前、キャピタル東急のコーヒーハウス・オリガミで食事をされる事が多く、特に“ドイツ風アップルパンケーキ”がお気に入りだったそうです。残念ながらキャピタル東急は現在閉鎖されてしまいましたが、オリガミは赤坂東急プラザで現在も営業中です。近いうちに仕事帰りにでも馬場さんを忍びつつ、オリガミでパンケーキと洒落込んでみようかと思案中の僕なのでした。