ハシッコばっかりメにトマル。(仮)

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スベテハノウズイガタメニ・・・

ボク、今ちょっとばかし悩んでいます。 

渋谷にある映画館『イメージフォーラム』にて今月27日まで公開されている『ドグラ・マグラ』リバイバル上映を観にゆくか、どうか。

この映画は1988年に公開されたもの。当時まだコドモだったボクは『ドグラ・マグラ』なんぞ興味は無く、後年、原作を読んで様々な意味での凄さを味わってから、ずっと映画の方も気にはなっていたんです、あの悪夢的なイメージをどう映像化したのか。 

近年、映画ドグラ・マグラは監督である松本俊夫氏の人気や、主役を演じた落語家桂枝雀の再評価に伴ってDVD化もされています。それにも関わらず未だ当映画を観賞していないのは、ボクがかつて震撼されられた原作における、個人的なイメージが壊されるのを危惧しているから。

 

原作である小説の『ドグラ・マグラ』は夢野久作に拠って昭和初期に産み出されています。

 

原案となった自作をその後10年にも渡って改稿し続けて漸く完成した本書は、“日本文学界最大の奇書”と称される事も多く、“読んだモノは必ず一度は精神の異常を来たす”というキャッチさえ冠されています。 

かくいう僕も、このキャッチに恐れをなしてなかなか読破する気が起きなかった(笑)んですが、実際に読んでみるとこのキャッチはちょっと大袈裟(苦笑)で、その複雑に入り組んだ文章の構成をしっかりアタマに入れておかないと話の筋が混乱して分からなくなる、という事を示しているのでしょう。ただし、その構成の入り組み方が半端では無く、僕にとっては<こんなモノを矛盾も起こさず完璧に組み立てられる作者のアタマがどうなっているのか?>という点についての方が驚愕モノでした。 

そんな『ドグラ・マグラ』は当時流行していた探偵小説のフォーマット沿ってはいるものの、そんな枠には収まらない様々なモノを内包しており、それは 

胎児よ

胎児よ

何故躍る

母親の心がわかっておそろしいのか 

という巻頭歌からも感じる事が出来ます。この想像するになんとも不気味な、胎児の生を受けてからの数奇な運命と、その母親が抱えているであろう狂気の暗示。

 

物語は一応、記憶喪失であり精神病患者とされる主人公の<私>が過去に起こしたとされる殺人事件の真相を追う事を中心として始まるものの、脳髄の働きや当時問題となっていた精神病患者に対する処遇などを問うた<狂人の解放治療>等がテーマとして盛り込まれており、前述のようにそれらが複雑に絡み合い展開してゆきます。 

さらに、特筆すべきはドグラ・マグラ』という物語の中に、ある精神病患者が著したと言われるドグラ・マグラ』という書物が存在し、そこには作品の最初から最後までの概略が記されており、読者は主人公の<私>が読んでいる『ドグラ・マグラ』を主人公視点で読む事となる箇所。即ち、物語途中にも関わらず作者自らネタバレをしているのですが、それでも作品の核心はぼやかし、最後まで興味を失わせない手腕には脱帽するしかありません。

 

上記の事からもお分かり頂けたかとは思うのですが、“読んだモノは必ず一度は精神の異常を来たす”かどうかはともかく、読者を混乱させるのを楽しんでいるかの如くに執筆された作品には間違いありません(苦笑) 

探偵小説でありますから、一応推理や謎解きの要素はあるものの、そんなものはどうでもよいオマケだと思っています、僕は。

個人的にはこの『ドグラ・マグラ』、<脳髄><狂人><殺人>という一見おどろおどろしいキーワードで巧妙にカモフラージュされた“血の物語”だと確信しているのです。コレについて説明すると完全にネタバレになってしまいますので書きませんが、現在、ネット上の青空文庫さんにて全文が公開されていますので、ぜひ皆様もアタマ混乱覚悟で一読してくださいませ。最初の数ページ分を読んで興味を惹かれたなら、満足間違いナシ、なんだか分からなくてツマランと思われたなら多分時間の無駄ですので、放っぽりましょう♪

 

さて、そんな訳でこんなまともな説明も出来ない作品をどう映画化したのか正直心配なボク、この文章を描き終える今でも観にいくべきか迷っている訳ですが(苦笑)、もし観にいったらコチラで感想を書きたいと思います。

それでは(^-^)/