汚れちまう、その前に。
ただ今、ボクの住む東京でも久しぶりに雪が降り積もっておりますが、いつ以来かと思いましたらなんと三年ぶりとか。子供の頃は雪が降ると登校がメンドっちい、という理由で雪が大キライだったボクですが、高校生時、中原中也に傾倒してからは雪がスキになりまして。ソレというのも「汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる」だの「私の上に降る雪はいとしめやかになりました」だのボクの琴線の揺さぶらずにはいない詩たちに雪というコトバが使用されているという我ながら単細胞過ぎる理由からだったりするンですが(苦笑)。
ボクの生まれ育った東京というのは“雪だな~”と実感できるほどの積雪というのは案外珍しく、ここ10年ぐらいは雪が降る度に散歩に出るようにしております、降雪の最中、それも深夜。
で、本日も例に漏れず散歩にして参りました。ホント、ありきたりな表現で申し訳ないのですが、雪化粧された風景というのはソレが見慣れたハズのものであっても
幻想的かつ新鮮に映り、その寒さも相まって其処に在るモノが浄化され、
新たに再生されて行くような
厳粛な雰囲気がします。
そんな気分を味わうにはやはり人気の無い深夜、未だ人々の活動し始める前の踏み荒らされていない、汚れてしまう前の雪がボクにとっては必要不可欠なんです。
…その代償として雪に濡れた靴の冷たさを通り越した痛みに耐えなければならないンですけど(苦笑)、ボクのように必要以上に社会のダークゾーンを垣間見てしまいココロがグレーな人種にとって、ピュアな白で全てを覆い尽くしてくれる雪ってモンは趣を感じさせずにはいられないモノなのです。