幸や不幸は、もういい。
先日ですね、マンガ家・イラストレーターであられますボッカ先生と話している時、カレがその名作を読んでいないと判り、個人的にソレはマズイかろうと思いましたので強制的読了させるための無理矢理プレゼント大作戦を決行致しますのが
業田良家・著『自虐の詩』(竹書房文庫より新装版が発売中)です。
コレ、もう何度も読んでいるンですけれど、さっき終盤の辺りを読み直していたらやはり目頭が熱くなりました。
本作品は一昨年映画化もされ、知名度も上がりましたのでご存知の方が多いと思います。
でも実はこの作品、20年以上も前から名作として読み続けられ、着実に支持を増やしていった“筋金入りの名作”である事は、そこまで知られていないのではないでしょうか。
『自虐の詩』はもともと市井に居る無能の人々の姿を描いた、四コマのギャグマンガとして描き始められました。
それがいつの間にか、一登場人物であったはずの元ヤクザで無職のダメ人間・イサオとその妻・幸江
の物語へと移行してゆき、幸江の少女時代が描かれるようになってからは一大人間ドラマの様相を呈していったという、四コママンガのフォーマットを飛び出してしまったエポックメーキングな作品だったのです。
幸江はギャンブルで身を持ち崩し、妻にも逃げられ、常に借金取りに追われているような父の元、極貧生活を強いられながら育ちました。そのような環境で父を憎み、自分を蔑み、日増しに内向的になって行きます。
それでも高校時代、性格こそ違うものの同じような境遇にあった女学生・熊本に対し心を開き、それをきっかけにクラスの友人たちと打ち解けてゆきます。しかし、そうなってくると性格がきつく皆から嫌われていた熊本さんと距離をとるようになり、結果的に彼女を裏切ってしまうのです。
そんな折、幸江の父が女に貢ぐために銀行強盗起こし、逮捕されました。昨日まで親しくしていた友人達に白眼視され、深く真っ暗な孤独に陥ってしまう幸江。そんな時、幸江に一人手を差し伸べてくれたのが熊本でした。一度は裏切った熊本に対し、掌を返したように感謝する幸江に熊本は怒りを隠そうとせず殴りかかります。熊本は謝り続ける幸江を延々と殴りながらこう叫びます。「頭を下げ続けながら友達が続けられるのか」、「殴り返せ」と。
その後、幸江は東京に新天地を求めるものの都会に破れ、堕ちる所まで堕ちるのですが、そんな時、無償の愛で幸江を救ったのがヤクザの三下・イサオだったのでした。
物語は最後、幸江と熊本、深い友情で結ばれた二人が東京で再会を果たすシーンで完結しますが、その際にはこう結ばれています。
幸や不幸はもういい
どちらにも等しく価値がある
人生には明らかに意味がある
と。
僕はこのての事を書いているマンガは好きではありません。その大半が説得力のカケラも無いペッラペラのものばかりだからです。しかし、この『自虐の詩』に至ってはギャクマンガにも関わらず身近に感じさせる暗く重い物語がタメとなり、多くの人々に深いカタルシスを与える奇跡的な作品へと昇華されているのです。
そう、人生にとって幸せや(重過ぎない)不幸せは同じぐらい価値があるんです。
それを意味のある事に出来るかどうかは自分次第、というだけであって。
…っーか、面白くもナンとも無い記事でスイマセンでしたっ!!
次回からはいつものノリで頑張りますデス♪♪